minminminのブログ

運動音痴の子供と母の毎日★&食物アレルギーとの戦い

成長と衰退

しばらくぴーすけの朝練はお休み。

たっちゅんは相変わらず毎朝頑張り中。 

夕方の練習もちょこちょこ時間をみつけてやっています。


結果


たっちゅんはうまくなって、ぴーすけは上手に出来てたドリブルが全然できなくなりました。


昨日は久しぶりにじっくり練習を見たけど、たっちゅん、まだまだボールを取りに行くのは怖がってるけど、頑張って取りに行くようになってたし、抜こうとフェィントを頑張ったりもしてた。


たっちゅんの学年の仲間はたっちゅんと○くん たっちゅんと△くん たっちゅんと□くんってみんなたっちゅんとは仲良しやけど、○△□がいまいち仲良くなかった。

でも、ここにきてみんな仲良くなってきてパスがうまいこと通るようになってきた。


今まで下の学年に負けることもあったけど、昨日は全試合勝った。 しかも、大差で。 

成長した〜❢❢❢


その反対でぴーすけはまぁひどい。

ボーッと立ってるだけとか、味方の邪魔したり。


やる気ないならやめてくれ〜とキレそうになった。

でも私は口をださない。


私は貝になることにしたのです。


貝になることにしたのは、ネットでみたサッカーの先生の1言。


サッカーのうまいこの親は、子どものプレーに何も言いません。

今日どうやった〜って聞くぐらいでいいんです。 親と子の距離感ってすごく大事です。

任せてもらったら、伸ばすから。

親が練習しろ!って言ったり、なんやかんや言うとやる気をそぎます。


って。 


確かに私はバレエ死ぬほど頑張ってたけど、親の干渉一切なかったな〜

勝手に頑張って勝手に泣いたり練習してたりしてたなぁ…って思って。


だから言いたいことめちゃくちゃあるけど、お口はチャック。

私はアサリ 私はシジミ 私はホタテ。


貝になる。


褒めるときだけ褒めるようしようと思います。

食物アレルギーとたっちゅん

たっちゅんが食物アレルギーの診断を受けたのは5ヶ月くらいのとき。

肌が真っ赤で、汁もでてたたっちゅん。

有名な皮膚科に通っていたが、健康的な生活をするように指導されただけで、ステロイドなど薬はもらえてなかった。

乳児湿疹ですねーくらいの診断だった。


予防接種の関係で小児科に行ったとき、先生にこれはアレルギー違うかな…病院行ってる!?と聞かれた。皮膚科に行ってることを伝えたら、『あそこはね… ちょっと採血していい?卵アレルギーがひどいと、風疹の予防接種とか気をつけないとだめやから』と言われた。


私はここではじめて自分の子に食物アレルギーの可能性がある事を知った。

採血の結果はほとんどの食べ物に反応有り。

特に卵と乳は気をつけようということになった。


そして、小さい病院やから免疫療法が出来ないからアレルギーに強い大学病院を紹介された。

この大学病院の先生は、とても熱心で優しく、これからの治療の仕方を教えてくれた。


『経口免疫療法』これが今だに続けてる私達のアレルギー治療方。


病院で1日入院し、反応がでないギリギリまでの量を食べ、自宅でも負荷を続ける。

症状がでなければ、少し量を増やす…。


負荷したあとは、安静に。

これがたっちゅんが運動をする環境にならなかった理由。


幼稚園から帰ってきたら、病院が開くくらいにアレルギー源を食べる。

そのあとは、走ったりしてはダメ。


なかなか食べられるようにならなかった牛乳のせいで、公園に行く機会もだいぶ少なくなった。


乳が食べられるようになったら、次は卵黄そして卵白。


経口免疫療法をはじめてもう10年。

今もこれに苦しめられている。食べられたと思ったら、症状がでてまた少ない量に戻る。


あとは卵だけになったから、卵を週に3回食べて、残りの日に習い事をしたりサッカーの練習をしたりしている。


アレルギーがなければ、好きなタイミングで好きなだけ遊ばせたり、運動させたりできるのにな…

性格が変わりすぎ②

小学校に入って、始めての懇談会。

挨拶と子どもの自己紹介のとき、私は

『たっちゅんの母です。たっちゅんは、大人しくて超平和主義な子です。男の子ヨリ、女の子と遊ぶことが多いので、小学校に入ったのをきっかけに、少しは男らしくなってほしいです』と言いました。


小学校に行きだして、私がたっちゅんの変化に気がついたのはすぐでした。

たまたまお迎えに行ったとき、一緒に帰ってる友達をめちゃくちゃ笑わしてたのです。


その子が『たっちゅん、ほんま変なことばっか言っておもろいわ〜』って言ったのです。


私はめんたま飛びでるほどにビックリしました。

え❢❢❢たっちゅんが元気いっぱい喋って、笑かしてる❢❢ しかも、うんこだちんちんだ…

the男の子語を使ってることに。


たっちゅんは小学校デビューし、みるみるうちに男の子になっていきました。


変わらなかったのは、優しいところと運動神経の悪さ。

運動神経の悪さと言うより、足の遅さ。


小学校の運動会で1番遅いグループになり、その中で1番遅くても、本人はちっとも気にしてません。


スポーツテストの結果は『E』。


本人が走りの遅いことを気にしだしたのは、3年生のとき。

女子に『たっちゅんって、走りめちゃくちゃ遅いな』と言われたのがきっかけです。


1年生のときから、スイミングと体操教室は習わせてたので、ある程度の体育はできるけれど、ボールを使ったり、走ったりするのは点でダメ。


3年生の秋、地域のドッジボール大会にでたいといったたっちゅん。メンバーは学校のやんちゃ軍団がたくさん。たっちゅんは、女子に言われた一言と、このやんちゃ軍団にもまれ少しずつ運動好きに変わっていきました。


そして、母の心もじょじょに変わるのです。


他の子はできるのに、なぜ出来ない❓と言う気持ちと、今まで運動してないしな…の気持ちが交互にくる。


バリバリの体育会系で育った私は、たっちゅんの運動能力を少しでも高めてあげようと熱く燃えはじめました。


いきなり運動させても嫌になるだけやし、本人をその気にさせないと… と約1年、じょじょにマインドコントロールし、朝練をする今に至りました。


4年の始めの50m走は14秒。

サッカーではかった25m走は幼稚園から五年までいるのに、たっちゅんは後ろから3番目。


これがどうなるのか。 楽しみです。